教えのやさしい解説

大白法 436号
 
佐前佐後(さぜんさご)
 『三沢抄(みさわしょう)』に、
「法門の事はさどの国へながされ候ひし已前(いぜん)の法門は、たゞ仏の爾前(にぜん)の経とをぼしめせ」(平成新編御書 一二〇四頁)
とあるように、大聖人の御化導(ごけどう)は大きく、文永(ぶんえい)八年九月十二日の竜(たつ)の口(くち)の法難より、翌(よく)十月十日の佐渡配流(はいる)を境(さかい)として、佐渡以前(佐前)と佐渡以後(佐後)との二筋(ふたすじ)に分(わ)けられます。
 佐前の御化導は、法華経正意(しょうい)の立場からの、念仏等の爾前権経の邪宗に対する破折と、法華経の題目の弘通(ぐずう)が主(おも)に拝(はい)されます。すなわち、大聖人が竜の口で発迹(ほっしゃく)顕本(けんぽん)される以前の御化導は、法華経に予証(よしょう)された上行再誕(じょうぎょうさいたん)の立場としての身業(しんごう)読誦(どくじゅ)がその中心となります。ゆえに『三沢抄』の御指南のように、爾前方便の御化導といわれるのです。
 佐後(さご)の御化導は、『開目抄』に
 「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頚(くび)はねられぬ。此(これ)は魂魄(こんぱく)佐土(さど)の国にいたりて」(平成新編御書 五六三頁)
とあるように、大聖人が竜の口の頚の座において、上行再誕の迹身(しゃくしん)を払い、久遠元初(がんじょ)自受用身(じじゅゆうしん)・末法の御本仏として本地(ほんち)を顕(あら)わされた上からの御化導をいいます。
 佐後の法門の特色を三点にしぼって挙(あ)げると、第一に、立宗(りっしゅう)以来弘通されてきた題目の功徳が、法華経の本門寿量品の文底に秘沈(ひちん)された、久遠元初本因(ほんにん)妙の本仏・本法(ほんぽう)に具(そな)わる題目の功徳として、その意義を示されたことです。第二に、漫荼羅(まんだら)本尊の御図顕(ごずけん)が挙げられます。佐渡配流の直前、相州(そうしゅう)依智(えち)を発(た)たれる前日、大聖人は妙法漫荼羅を書き顕わされ、以後(いご)佐渡において多くの漫荼羅を顕わされています。したがって、明(あき)らかに、竜の口の法難における発迹顕本が、御化導の転換期(てんかんき)として重要な基点(きてん)であったことが拝されます。そして第三に、三大秘法についての御指南です。佐前(さぜん)には三大秘法の名目(みょうもく)すら挙げられていなかったのですが、佐渡御赦免(ごしゃめん)の一力月前に著(あらわ)された『法華行者値(ち)難事(なんじ)』の追伸(ついしん)に、
 「天台・伝教は之(これ)を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩(しぼさつ)・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之(これ)を残したまふ」
(平成新編御書 七二〇頁)
と、はじめて三秘(さんぴ)を意味する語が示されました。
 しかし、佐渡期には、いまだご自身の身業読誦も終わらず、時機も到らないため、三大秘法に関する具体的な御指南は拝されません。
 大聖人の佐後の御化導は、佐渡御在島中(ございとうちゅう)よりも身延期(みのぶき)、特に弘安(こうあん)元年以降の身延後期が重要であり、御一期(ごいちご)の総要(そうよう)です。中でも熱原(あつわら)法難を機縁(きえん)として、弘安二年十月十二日に御図顕あそばされた三大秘法総在(そうざい)、本門戒壇の大御本尊をもって、究竟(くきょう)中の究竟と拝するのです。この点を知らなければ、大聖人の仏法の眼目に迷(まよ)うことになります。
 ただし、佐前・佐後の異(こと)なりがあるといっても、すべて御本仏の大慈大悲と仏意(ぶっち)によって、自在(じざい)に成就(じょうじゅ)された御化導であると拝することが大切です。
 私たちは、佐前・佐後という筋目(すじめ)と、その意義をよく理解し、さらに日蓮正宗の正しい教学を身につけていくことが肝要です。